詩人ルネ・シャール 生存の切れ端
ぼくは自分が事件であることを欲していた。自分が楽譜で
あることを想像していた。ぼくは不器用だった。ぼくの意に
反して、ぼくはしばしば口に運ぶ林檎に取って代わった髑髏は、
ぼくに気づかれなかった。ぼくは離れたところに行って、その
ものをちゃんと噛んでみた。そんな果実をくわえて散歩するわけ
にはいかないし、そんな果実への愛を熱望することもできないので、
空腹だったとき、ぼくはそれに林檎という名前をあたえようと決心
した。するともう不安ではなくなった。ぼくの困惑の対象が詩に
特有の流れるような、それでいて曖昧でもある特徴のもとに現れた
のは、そのずっとあとでしかない。(544)
「万能の弓」である想像力によって髑髏を秘かに林檎に変えてみせる。
ルネ・シャールは後年、「詩とは、私たちが死のおぞましい顔面に投げ
つけてやる、生存の腐敗しない切れ端である」(359)といった、だれでも
引用する有名な文句を書くことになるが、その最初の意識がすでにここで
現れているのだ。
『激情と神秘』ールネ・シャールの詩と思想ー西永良成著
あることを想像していた。ぼくは不器用だった。ぼくの意に
反して、ぼくはしばしば口に運ぶ林檎に取って代わった髑髏は、
ぼくに気づかれなかった。ぼくは離れたところに行って、その
ものをちゃんと噛んでみた。そんな果実をくわえて散歩するわけ
にはいかないし、そんな果実への愛を熱望することもできないので、
空腹だったとき、ぼくはそれに林檎という名前をあたえようと決心
した。するともう不安ではなくなった。ぼくの困惑の対象が詩に
特有の流れるような、それでいて曖昧でもある特徴のもとに現れた
のは、そのずっとあとでしかない。(544)
「万能の弓」である想像力によって髑髏を秘かに林檎に変えてみせる。
ルネ・シャールは後年、「詩とは、私たちが死のおぞましい顔面に投げ
つけてやる、生存の腐敗しない切れ端である」(359)といった、だれでも
引用する有名な文句を書くことになるが、その最初の意識がすでにここで
現れているのだ。
『激情と神秘』ールネ・シャールの詩と思想ー西永良成著
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